研究の背景

近年世界を震撼させているスーパー(薬剤)耐性菌は難治性の感染症を引き起こし、その背景には医療に限らず畜水産における抗菌剤の濫用が指摘されています。これらスーパー耐性菌の国境を越えた短期間での拡散は地球規模での対応を迫るものであります。

例えば、多剤耐性能を合わせ有するカルバペネム耐性のNDM-1に例をとると、2008年に本菌が初めてインドで報告された僅か数年後の2010年には英国、米国、日本、オーストラリアなどで相次いで見つかるなど、その驚異的な国境を越えた拡散スピードは1国のみで対応できるものでは無くなってきています。これら耐性菌の発生は、抗菌剤の濫用により起きる事が良く知られています。

このような観点から、近年、特に畜水産分野における抗菌剤濫用によって選択される薬剤耐性菌が、食品を介してヒトに伝播し健康に影響を及ぼす可能性について、国内外の関心が高まってきました。また、開発途上国における抗菌剤の容易な入手と感染症に対する薬剤の濫用は、このような薬剤耐性菌の発生と拡がりに大きく貢献している可能性も指摘されています。 

このような背景は、近年のヒトや物の国際流通の増大に伴い、我が国のみならず近隣諸国での薬剤耐性菌の拡がりに対する関心の高さへと繋がっています。政府による規制が行われている我が国においても、抗菌剤の年間使用量は、ヒトの治療薬の約520トン(1998年)に対し、2倍以上(1290トン、2001年)もの抗菌剤が家畜や魚の生産過程で使用されています。

一方、東南アジア諸国における抗菌剤、特に家畜等に対する使用量の実態は不明で、ヒトにおける使用規制も大多数において処方箋無しで購入が可能であることから、その濫用が懸念されています。因みに、中国では年間抗生物質原料18万トンが国内で使用されており、国民一人当たりの年間消費量は約138gと米国の約10倍に相当しています。使用規制が行われていると思われるスペインにおける2006年の報告では、養鶏業におけるその生態環境ならびに鶏自体のセファロスポリン耐性菌による汚染の飛躍的増加が抗菌剤の不適切な使用に起因することが指摘されています。

耐性菌発生と拡散に関与する想定因子概念図

薬剤耐性

問題は、このような生態環境ならびに畜水産品における薬剤耐性菌の拡がりがモニターされておらず、また、ヒトへの伝播にどのように関わってくるかについての具体的な調査研究がなされておらず、多くが推測の積み重ねの域を出ていないことです。 

薬剤耐性ESBL産生薬剤耐性菌検出状況

感染症の起因菌として分離された患者由来腸内細菌におけるESBL産生薬剤耐性菌は本邦においては6~14%と増加傾向にあります。

一方、アジアにおけるCTX-M型(主要ESBL産生遺伝子型)ESBL産生菌保菌者は多いと考えられており、近年の我々の研究でタイの農村部健常人において約58%もの驚くべき高い保菌率が明らかとなりました。

ベトナムにおいても健常人(含む乳児)の42%がESBL保菌者と報告されており、ESBL耐性菌のベトナムにおける拡がりは極めて深刻な状況といえます。

これに対して本邦では研究代表者らの最近の研究より健常人糞便から6%前後のヒトでESBLが検出されることが判明しています。

因みに1999年の報告では、日本人健常者の僅か約0.3%で糞便中にESBL耐性菌が検出されたのみであり、約10年で20倍へと健常人保菌者が増加したことになりその増加速度は極めて懸念する状況にあるといえます。